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講義抄録:農村力で拓く明日の暮らし

結城登美雄さん

結城さんの8月期講義は、1日目は食と農をめぐって、いまどのようなことが起こっているか。これをどう捉えるか、厳しい時代の動性と分析がなされました。2日目は、こうした厳しい情勢にある中で、では、農は食は、いやこれを生み出す地域はどうするのか。持続可能な地域=ムラを取り戻し、生きていくことの楽しさ、コミュニティのあることの安心な暮らしを再び手がけることへの、示唆とヒントをいただきました。

「食と農をめぐる動き」

以下の5点をポイントに、厳しい情勢にさらされる動きをみていく。 ①農政の転換
②担い手の減少、高齢化
③海外情勢の変化
④食品不信と食料の不安
⑤農村のゆくえ、限界集落

農政の転換

若い人が農業、農村に関心を持ち始めた。―モヤモヤの背景には、食べ物がある。        日本(私たち)の食のこれからに、食べ物は「ある」と考えるか、「ない」と考えるか。 多くの日本人はこれからもあり続けると思っているが、3~4年前から(結城さんは)「ある」側に立てなくなった。

農村も無くなるのではあるまいか。
日本は食べ物に苦しむ国になるのではなかろうか?

こうした状況は、農水省が支援してもよくならない。 むしろ戦後農政の大転換で(農家、農村は)取り残されつつある。

2年位前に、農業は大きく変わった。大きい農家、大きい農業やっていくという国の考えで、国が応援しない農家はどうしたらいいか。もうやめた、で、なくなるのか。が、圧倒的面積は小さい農業である。東北の3ha以上は8%、92%はそれ以下である。

この圧倒的な農業がなくなったら、どうなるか―。すでに担い手は、減っている、歳を取っている、のである。

海外情勢の変化

海外から食料が買えなくなった。日本の魚介類も食べられなくなってきた。

例えば、魚。 外国のほうが高く買っている。 サバ1匹300g超のものは1キロ150円だが、300g以下のものは1キロ30円と規格化して扱う。長崎の松浦漁港は日本一のサバ漁港である。5万トンのうち、2.5万トンは300g以下、つまり半分はキロ30円で、餌になる。その30円のサバを中国は80円で買った。当然、漁師はこれで張り切った。

ホヤは宮城県が7割、岩手が3割の収穫地。養殖して3年で市場にでる。そのホヤ1個に、漁師は20円もらうが30年間値段はそのまま。せめて24円になったら頑張れるというが、その4円が上げられずに、安全・安心を言うのが日本だ。が、35円で買うというところが現れた。2年前、この値段で韓国が買い占めた。日本のスーパーにはロクなホヤが出なくなった。07年4月、韓国でホヤは「ホヤキムチ」になっていた。08年にこれが日本に上陸。ホヤキムチの10%は韓国産で空港に。90%は韓国経由で中国へ、「韓国キムチ」として出回る。 中国、インド、ブラジル、ロシアが変わってきた。

農村では

65歳以上が半分以上を占める集落を、「限界集落」と国土交通省が決めている。 農家の青年たちからは、「農家崩れたっていいさ 国家共々」(宮城県栗駒の青年たちの書いた看板から)と、絶望的な本音が聞かれる。

農家の7割が60歳以上、45%が70歳以上の現実
312万農民と21万漁民で、日本の食卓を支えられるか?

食料自給力が激減する日本 ― 食べ物をつくる力が落ちていく日本

つくる人2.6%(農民312万人、漁民21万人、計333万人)で、97.4%の食べ放題を支える。→97.4%の食べ放題を、2.6%が支える現実。

日本がもし100人のムラなら、3人が97人を食わせ、そのうち、1人が70歳以上、1人が60歳以上、1人が59歳以下という現状の10年後は・・・・。

日本のジャーナリズムは現象しか追えない。自給率39%でどうなんだ?というその先がない。例えば―

「田植え機を買う決心をして淋し」(水谷繁之)の、その上に自給率39%がある、ということ。  農業人口は90年1025万人、07年312万人と減り続けている。1戸当たり農業所得も減り続けている。漁業人口も減り続けている。  → つくる人が急速に消えていく日本。

コメ作りの家族労働賃金 08年は時給256円、最低賃金は時給673円。時給に含まれないもの、田植え機買った金など、これらは年金から拠出される。新自由主義のもと、コメ1俵6000円まで覚悟しろ! などというが、日本のコメ農業は年金をつぎ込んでかろうじてある状態だ。

世界的食料争奪戦がはじまった!

いつまで輸入に頼れるか。

美しい田んぼは、美しくしているから、美しい人がいるから、ある。 「自然は淋しい、しかし、人の手が加わるとあたたかくなる」
と、向都離村の時代(昭和40年~)に宮本常一は書いた。

農業に対する理解も手をかけることになる。これをどうにかしたい。
地域が支える農業=C・S・A=コミュニティ、サポーティッド、アグリカルチャー いくつかのコミュニティが農家に作物を依頼する→安心してつくれる→の米版が、鳴子の米プロジェクトである。

「鳴子の米プロジェクト」の主張

食と農の地域力
食糧危機に備えるもうひとつの食糧安保

地域づくりは隣人のことを考えること
この世には諦めてはならないことがある
失ってはならないものがある。
それは「生命と生存のための食料(ソクラテス)」と、それを育ててくれる人々と農地である。そして、その中心に米がある。
米が村をつくり、国をつくった。
国家にとって最初にして最大のものは、国民の生命と生存のための食料である。

60㌔のコメで1000杯のごはんがとれる。鳴子の米1俵の価格24000円の場合、ごはん1杯は24円である。笹かまぼこ6分の1枚、ポッキー数本分の値段に相当。これが高いか安いかではなく、いかに納得して買うかである。なぜ、日本の農産物には「メーカー希望小売価格」がつけられないか。

労働の風景を農村から消したくないと、天日干しを実行している。
「日本」の食料ではなく、家族、知人、隣人、友人のための食と農でありたい。1町歩70人が喜んで食べられるように。ところが、私たちは、「日本」ばかり語ってきた。 それでは、「あの、おじいちゃんの田植えを、米を手伝おう」とはならない。

米に出会う、食べられて冬を越えられる条件でムラ(群)がる、のが「村」の語源である。米ができて初めて、村がつくられ、国がつくられた。 米を失うことは、最も大切にしてきたものを失うことになる。 静かに食糧危機が進んでいる。もういちど、つくり手と食べ手が向き合うことはできないか。

スーパーから始まる食が、大多数の人の習慣になっている。そこには、つくり手が頑張ってきた米があるということが崩れている。米を手がかりに、食べ物を考えていく。  日本の食文化を最初に考えた道元に学び、たくさんの人の手を経てここまできた食べ物。そのたくさんの人を思え。

2日目

自給の暮らしを取り戻す。一人ではなく、「みんなで」つくり、「みんなで」汗を流して収穫を得る。みんなで共にすることから、ムラの再生はあり、集落は蘇る。

自分たちで必要なものは自分たちでつくる。暮らしを豊かにするのは、市場経済に頼っているのではなく、みんなの技と知恵を出し合うこと。暮らしも地域も崩れつつあるいま、結城さんの熱弁に受講生一同も熱く応えた授業でした。

「みんなで、自給の暮らしとムラを取り戻そう」

1.モノづくり

キーワードは、自給力。

「自給自足」の意味を文部省による植え付けが貧しいものにした。 農家専業をよしとし、出稼ぎ農家をダメとした。"かわいそうに"という見方。金がないから、自分でやるしかない、補うためにやるものとされた、自給自足・・。

自給とは、自分に必要なものは自分でつくる=賄うこと。

買う暮らしを当たり前にした今日。その以前は、暮らしを豊かにするのは、自分たちでつくることであった。暮らしは自分でつくるもの。技、知恵を身につけるのが、いちばんの努力であった。
例 葦ペン 葦は紙の基=パピルスの素材でもある。

「人間は考える葦である」(パスカル)

身近にあるものを書く道具にしてきた。それが、万年筆となり、ボールペン、ワープロ、パソコンと、自分から離れていく、自分以外のものに大きく左右されるようになった。

つくる意識がないと、周りが見えない。
例 ガマ。敷物に、魚籠に・・・・。ガマが目に付く・見える、その先の用途が見える、暮らしが見える・・・。

日本 明治元年には3000万人口の2700万人は村に住んで、300万人は町に(江戸その他)住んで、5万人以上の都市は8つしかなかった。

サスティーナブル=持続可能な社会は、村であった。村の人は買うことをあまりせず、つくることをしてきた。

そうした、71314の小さな村の集まりであった。
平均50~60世帯、370~400人が、村の姿。今でも残る「大字」という村の原型。 暮らしはすべて自分で賄っていた。400年以上も、村は村であり続けた、これが「農村力」。 ちょっと立ち止まって考えてみることだ。

農村力の元のところに、自分で必要なものは自分でつくる、ことがある。 暮らしは自給が基本。 どうしてもつくれないもの、隣の人が得意なものを、相互扶助で補っていく。 中心軸に「自給」があり、その周辺に「相互扶助」がある。自給の円が大きく、相互扶助で補う暮らしで成り立っていた。それでも賄えないもの―塩、魚など―は市場経済として受け入れていた。  市場経済が大きくなると、モノをつくるのが小さくなり、暮らしは、膨大に大きくなった市場経済に依存するようになった。そうなると手の届かない食べ物―中国でつくられる餃子など、を食べるようになる。

地域をよくしていく。
自分たちで必要なものを自分たちでつくる、という生活を取り戻すこと。身近にあるもので、つくる。山だらけ、木だらけ、・・・そこにいろんなものを見えてくる。 小さなものをつくる。つくることの楽しさ、楽しみを取り戻す。

文化とは楽しみである。
よろこばしいこと、みんなで楽しいこと、「みんなで」というほどの意味を考えてみる。 一人でつくって、一人で食べるより、みんなで食べる、分かち合うことが楽しい。 どっかで左右されることのない土台を持ちたい。 「つくりたい」という思いが大切だ。 それは特産品をつくって儲かるということではない。つくりたいという気持ちにブレーキはかからない。
自給、相互扶助の円を大きくしていくと、土台はできる。それは農村が続いていくことに必要なことだ。→持続可能な村への備えである。

ものをつくるということは、つくる人の気持ちと、使う人の気持ちが近づいていくことだ。つくることは、技と知恵が働くことである

2.焼畑

焼畑⇒火で耕す=火耕
新潟県山北町山熊田地区の例
木を伐った後焼いて、4~5年焼畑やって木を植える。山の頂上から下がって焼畑する位置に「火防帯」をつくって、頂上から火を入れていく。
焼畑は一人ではできないのが、最大の特徴だ。集落の力、隣人の力でやる。 お盆前に火入れをする。2~3週間前に乾燥させて、当日は、夕暮れ、風が止まったところで火を入れる。その前に、山ノ神に祈り、生きものに逃げろといい、水の神に祈り、てっぺんから火を入れ、各自は鎌を持ち、下へと火を導いていく。

次の日、まだ火がくすぶっているところに、カブの種をまく。2日後には芽が出る。種はいきなり熱い灰の中にまかれて、ビクッと起きて、グイグイと芽を出す。

池田のキビ団子の材料のキビは、3分の1が自前で、3分の2は九州から取り寄せるという。それならみんなでキビづくりをやろうか、というのはいかがか。

焼畑を耕していくと、常畑になる。
耕作放棄地を有効活用できる。
雪が積もり始めると、焼畑のカブは春3月に掘ると育っている。雪の下でも育つ。

焼畑はみんなの力がないとできない。やればみんなが分け前にあずかる。→みんなのコミュニティが戻ってくる。 一緒に力を合わせると、ゆい「結」が生まれる。

春焼き―穀類を中心に、大豆、小豆、イモ類など
夏焼き―冬の保存食材を中心に。8月5日に火入れ、11月5日頃カブを収穫。12月初旬雪。

経験を受け継ぎ、年寄りから学ぶ。体験から、火の怖さ、植え付けなどを会得する。

みんなでモノを作ると、冬が楽しくなる。冬は忙しくなる(昔のように)。
その冬の楽しみは、春、雪解けに持ち寄り、みんなに見せて・・喜び合う。一人ひとりの技と知恵が、みんなの関心と喜びにつながる。
暮らしに手をかけると、暮らしはどんどん豊かになる。モノをつくるということは、つくり手の心と、使い手の心が近づいてくる。互いを認め合い、互いを思いやる、人と人との関係が生まれる。地域の結びつきが、取り戻せる。

文責・伊藤

日時: 2008年9月21日 00:22
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